20200312_アイフィールプリティーを見た日
日記50日目。
昨日は「ドラえもん のび太の宝島」を見た。
火曜に豚汁を作ったので、夕飯にかける時間がすこぶる秒だ。
そのために平日からアマプラで映画を見ることができる。
今日は天気が良かった。
お昼を食べる公園は、幼稚園児から中学生まで、早めの春休みでエネルギーが有り余っている子どもたちでいっぱいになっている。
メルペイのクーポンでセブンカフェが11円だったので、初めて利用した。
コーヒーは苦手なので、ホットのカフェオレにした。
安い味はしなくて、まろやかで飲みやすかった。
セブンはすごい。
お弁当のご飯にちょっとカビらしきものがあって焦った。
暖かくなったからって、そんなすぐに生えるか?
温かいまま蓋をしたからかしら。
今日は詰めたら冷蔵庫に突っ込んだ。
帰ってお風呂に入ってご飯を食べつつ、「知らなくていいコト」最終話をTVerで見た。
ザッピングしてたら途中で気になって、連ドラを初めて途中から見ることになった。
今期、初めから追っていたのは全て飽きてしまったから。
ケイトの判断には、ものすごく最適解のようなものを感じた。
この脚本が東出・杏夫妻の不倫問題で書き換えられたのかどうか分からないけど。
「不倫して出来た子ども」側のケイトが、同じ思いをさせたくないと思うのは、尾高に対する愛ではなく、博愛のようなものかもしれない。
一部でそのまま付き合って欲しかった、みたいな女性の声も聞いたが、君たちはそれを東出昌大と唐田エリカに言えるのだろうか。
尾高の腕の中で甘く崩れず、ハッキリと伝えようとするケイトの姿勢にはついつい「頑張れ」と声援を送ってしまった。
何より、離婚が成立する前に結婚しようなんて「溢れちゃった」尾高はケイトの好きな尾高ではなかったのだ。
お互い、タイミングが悪いのである。
そのあと弁当詰めて食器洗ってゴミを出して、洗濯を干しつつ「アイフィールプリティー」を見た。
昨年周りで「自分に自信を持てる」「自己肯定感が高まる」「とにかく元気になれる」と大絶賛で気になっていたものの、タイミングを逃していた。
頭を打った後、自信に満ち溢れたレネーは最高に魅力的だった。
何の解説もいらない、画面の中で生き生きと毎日をエンジョイする彼女を見れば全てが伝わってきた。
これこそ映画の力かもしれない。
ベッドで「どうして君はそんなに自信いっぱいなんだい?」と彼に聞かれ、彼女が答えた「心の底から自分を信じているから」という台詞には涙が出そうになった。
勿論最後の演説もシンプルで良かった。
御都合主義も多々あるけれど、伝えたいことをシンプルに伝えてくる映画には、それも鵜呑みにできる勢いというか、説得力がある。
良い映画は「まあこんなに良いシーンを組んでくれてるんだし、気にしないべきだ」と思わせてくれる。
最後、イーサンがチャイナタウンの地下から出てきたところは最高の伏線回収だった。
最低だと思っていた自分のコンプレックスは、実はとても素敵なものだったのだ。
私は私なのだ。
いやあ、とても元気になった。
ただ、アメリカの自分に自信がなく卑屈になった女の子は、一応良い友達はいるのだなと少しカルチャーショックだった。
こちとら週末遊ぶ友達もいないのだ(悲観的になってはいけない)。
それでも周りに何か言われても私は私、というありきたりなポジティブワードを、肌で感じることができて良かった。
自信があるだけで、あんなに魅力的に見えるのだ。
元気になった。
うーん、明日は何を見よう。
20200309_リトル・フォレストを見た日
日記49日目。
本来であれば、今日は多くの学校で卒業式があったはずなのだなあと思う。
今日はとても暖かい1日で、弁当を外で食べた時も心地が良かった。
また逆に、冬が終わってしまったという焦りも直に感じた。
何も変わらないまま、暖かな季節になってしまった。
たった6,7時間座っているだけなのに、生活を保つので必死だ。
誰より遅くに到着し、誰より早く家に帰る。
夜は弁当を作り、明日の水筒にお茶を詰めて眠る。
それだけで必死になってしまう。
今日は勧められていた「リトル・フォレスト 冬/春」を見た。
「夏/秋」は土曜に見終わっていた。
四季を縫いながら作物や風景を余さず映し撮った撮影に圧巻だった。
どれだけの期間と計画を持って大量の映像を記録したのだろう。
美しかった。
主人公・いち子とキッコの喧嘩が胸に刺さった。
「何様のつもり?そんな事が分かるほど、他人と向き合ってきた?」
(ニュアンス)
逃げて地元に戻ってきたいち子は今の私と重ねてしまうけど、逃げてきた理由は180°くらい違う。
けれど、「厳しい暮らし」を一生懸命にやることが、何かの逃げである事は同じだった。
だからこそ、5年後のいち子の結末に納得がいかなかった。
結局彼女は、幸せの象徴として作者に「結婚」というゴールを与えられてしまったのだと思った。
あんなに時間を掛けて撮ってきた映画なのに、最後は恋愛で締められてしまったのが虚しかった。
神楽を舞う橋本愛はきれいだった。
明日は1日雨らしい。
電車でいかなければならない。
寝坊しませんように。
2020308_1日雨だった日
日記48日目。
だいぶ間が空いてしまった。
今日は久しぶりに丸一日雨だった。
目が覚めたら11:30くらいだった。
7:00に目が覚めた昨日が嘘みたいだった。
昨日は起き抜けに朝ごはんを食べながらドラマを一本見て、往復90分かけて自転車で歯医者に行った後スーパーで買い物をして帰ってきても11:30だった。
最近、週末の使い方がとても下手だ。
平日はあと少しで土日だ、と浮き足立つのに、いざ休みとなるとただスマホ片手にしているだけ。
あれもこれもしよう、と思っても、丸2日予定がなくたって何も達成できない。
やる気が起きない。
録り溜めたアニメも、シーズン3に入った海外ドラマも、リストに入れてあるアマプラの映画も見る気が起きない。
何か創作して自己肯定感を上げよう、と思っても、何も手につかない。
映像を見ることや文章を書くことは、私にとって最もハードルが低い娯楽だったように思う。
ただ座ってスイッチを付ければ良いだけだし、スマホ一つで出来てしまったりする。
それでも全く気分がのらなくて、毎日10時間くらいツイッターを眺めて終わっている気がする。
せっかく比較的自由な時間が多い今、色んなことが出来るはずなのに、働いている人達の方が時間が少ないはずなのに、濃密な時間を過ごしていることに焦る。
たくさん本を読み、映画を見て、物語を創る。
旅行とかはお金がないからと諦めているけれど、上記の行動はお金がない私でも出来ることだ。
それなのにやらない。
休めばいい、焦らないでいい、なんていうけど、もうそういうレベルじゃない気がしている。
蕁麻疹も出さず嘔吐もせず不眠にもならずに逃げ出し、半年が過ぎた。
当時掛かっていた医者は、ひと月ほど休めば治るだろうと言っていた。
私の今の状態は何の病名もなく、ただただ諦めて逃げ続けているだけなのだと思う。
情けなくて悲しくなって、何の得にもならない独り善がりな鬱モードに入ってしまう。
ただ何も知らず、晒されているものを享受することだけを楽しむのが最も楽なことだと知ってしまった。
またお風呂に入れなかった。
日曜の夜は未だに過ごし方が分からない。
明日が嫌過ぎて、ご飯を食べてから動きたくなくなる。時にはご飯すら食べたくなくなる。
生活の一つ一つをこなす事が、明日を早く迎えることに繋がってしまうと感じているからだ。
夕飯を食べなければ、お風呂に入らなければ明日になるのが遅くなるかもしれない。寝なければ明日は来ないかもしれない。
そんなはずはない。
どんなにお風呂に入らなくても、どんなに夜更かししても、明日は来ることを知っている。
毎回そうして、月曜の朝パニックになる程慌てる事を繰り返している。
何の楽にもならず、ただ現実から目を背けた結果自分の首を絞めることを毎週繰り返していて虚しい。
何にも興味を持たなくなって、何にも自信が持てない。
抜け出したいとも思えなくなってきたので、どうしようかなと思う。
今日のお昼はコメダのピザトーストもどきを作り、夜はフライパンナポリタンを作った。
今日とった野菜は、玉ねぎ半玉分だけだった。
20200216_p cubedの日
日記46日目。
また1日飛ばしてしまった。
昨日はとても嫌なことがあって、忘れたくて色々していたら、夜中4時くらいまで起きてしまっていたからである。
今日は一年ぶりに大学の友人と会った。
久々に会ったら、雰囲気が変わったと褒めてくれた。
ノーメイクで寝癖で産毛も生えっぱなしだった私を、構ってくれた数少ない大学の同級生である。
怖かったのは、皆おしゃれでメイクも得意なので私の今更ながら年齢相応を目指した外見が空回りしてないかということ。
でも服は去年の夏にオフィス用のブラウス辺りを買ってから一切増えてないので、残念なものしかなかったので諦めた。
学生時代、2wayという便利ワードに惹かれて買ってしまった、ヨレヨレのコートを着ていくしかなくて、少し恥ずかしかった。
あとは久々に話すので、コミュニケーション能力の欠如で恥をかかないかということ。
これは正直話のオチが見つからないまま話出したり、相槌のタイミングが下手だったり、なにかと自分のネタを話したがりだったり、誰かと話始めが被ってしまったりと、散々だった。
恥ずかしい。
周りを全く見れていなかった。
午後はperfumeのコンサートに行った。
数年ぶりだったが、3人は変わらずとても可愛かった。
シンプルなステージに映像とレイザーの演出は、ライゾマ感が凄かった。
ただ、最近はバンドやアイドルのライブにしか行ってなかったため、ステージ構成や諸々に物足りなさを感じてしまって恥ずかしい。
それぞれ良いところがあるのだ。
EDM+JPOPのノリ方は難しかった。
ここだ!サビキター!と思って片手をあげれば周りは1人も挙げておらず、しんどくて2拍くらいで手を下ろしたりした。死ぬほど恥ずかしかった。
perfumeのライブでは定番曲の一部をファンが無言で踊り出す文化があるんだけど、普段MVも見ないのでものすごい見様見真似で何とか乗り切った。
あと、ついライブハウスの感覚で腕を振ってたら隣の女性に叩かれてしまった。
私が悪かったかもしれないけど、怖かつた。
開演が15時という激早シフトだったので、夕飯は家で食べた。
人参と玉ねぎとキャベツが余ってたので、焼うどんに。
ひと玉18円のうどんだったが、わりといけた。
そして眠い。
疲れて動けなくて、茹で卵とおかず2品を作って弁当の準備までした私、えらい。
洗濯も干せた。えらい。
ねる。
20200214_マーベラスミセスメイゼルシーズン2を見終わった日
日記45日目。
Amazonプライム+fireTVのおかげでQOLがめちゃめちゃに上がっており、苦節26年で初めて洋ドラを見ている。
おかげで何かやらかした時はもれなく、脳内で「fu○k」「sh○t」が再生される日々。
何ならドラマを見ながら「オー、ノー!」と叫ぶ始末(画面の中の主人公とハッピーアイスクリームした)。
今日は雨予報だったけど、運良く行き帰りは止んでいた。
毎日往復30分、チャリで2山越える日々を送っているので、下半身が絞れてきた気がする。
たった2週間だけれど。
今日は冷凍の海老シューマイだったのだ。
週末だから贅沢である。
味玉が想像以上に美味しいので、来週の弁当も卵焼きではなく味玉にしようかと考えている。
夕飯はポトフをパスタにした。
野菜の甘味がモロに出て旨いポトフ3日目、水を足してパスタを突っ込みケチャップで何ちゃってトマトソースパスタにしようと思ったが、にんにくと塩で調整してたら良い感じにペペロンチーノもどきになってしまったので、そのまま頂く事にした。
うまいこと乳化したのだろうか。
マーベラスミセスメイゼル、ついにシーズン2を見終えた。
10話のレニーがとても格好良かったので、是非見てほしい。
漫談を警察に咎められたショックで、スタジオ裏で落ち込んでいるも、名前をコールされ袖に立ち、スポットライトが当たればその一瞬でエンターテイナーの顔に切り替わり、堂々とした立ち振る舞いでカメラの前に歩き出す最高のプロ。
思わず「カッコいい…!」と声に出ていた。
あの格好良さは、誰かと分かち合いたい。
このドラマは、メインキャストが個性的過ぎてなかなか共感しづらい。
主人公ミリアムも漫談家として頑張っているけどネタを考えたり話し方に悩む描写は殆ど無く、本業よりお洋服や帽子が好きだったりする。元旦那のジョールも秘書と浮気、自分から出て行ったくせにすぐヨリを戻そうとする優柔不断だったり、社長の息子だったり。
但し、ミリアムを強く売り込むマネジャー・スージーが最強なのだ。
自分の名誉や見た目に興味はなく、ミリアムの話術を一目見て必ず売れると惚れ込むと、マネジャーとして彼女を売り出す決意をする。
トイレと風呂の扉もない狭いワンルームで電話も引いていないくらい貧乏なのに、裕福なミリアムと対等な関係を保ち、懸命に仕事を取ってきてくれる。
嫌味もせびりもあるけど、仕事仲間のジョークの範囲内でしかない。
本気でミリアムの才能を信じ、彼女がどんなにお嬢様ボケしてても見捨てない、懐の広い奴なのだ。
とにかく私は、ミリアムでは無くスージーが一旗挙げるところまで見てやりたい。
眩いステージに立つのは主人公だが、その裏に彼女のたゆまぬ努力がある事を忘れてはならないのだ。
シーズン3が楽しみである。
今日の帰り、久々に仕事を辞めた時の酷い思い出が蘇ってしまった。
まだどうでも良かったとは思えなくて、自転車を漕ぎながら息が苦しくなった。
坂を登るために立ち漕ぎしていたから仕方ないけど。
私の中であの言葉は思ったより根深くて、例え今から転職活動をしても、面接で自分の事をまともに話せないだろうと思った。
私は今後どうなりたいのか、さっぱりわからない。
この先も生きなければいけないのなら、人と接するのは自分の醜さが如実になるから、1人でいたい。
この土日は両日とも予定があって、外出しなくてはならない。
交通費がかさんでつらい。
他の予定も詰め込みたかったのに、自分のキャパが矮小化していて何も予定を立てられなかった。
複数タスクの同時進行ができない。
何もしない5ヶ月だったので、そりゃ脳も老化するよなあと思った。
20200213_イブの日
日記44日目。
今日はバレンタイン・イブらしい。
嫌でも声が大きくて聞こえてくる22歳女子の話し声で気付いた。
昨年・一昨年までは名古屋駅直結のビル内で働いていたので、この時期は相手がいなくとも自分のためにせっせと催事に通ったものだ。
夕方や朝方は混むけれど、昼休みを少しずらして買いに行けば空いていたし、職場に戻れる余裕もあって贅沢だった。
天と地の違いで昔のことを思い出すのがつらく、また相手はいなければ自分にも買う余裕が無いので、触れないようにしていたら本当に気付かなかった。
何だかんだ記念日とかイベントって避けようとしても纏わりついてしまうものだったけれど、ここまで抜けていたのは初めてで、何だか少し感動したし気が軽くなったような気もしないでもないでもない。
今日は朝方雨が降った(はず)なのに温かくて、自転車を漕いでいたら汗だくになった。
明日はまた雨らしくて嫌だな。
味玉、やはり漬け汁二回目は味が薄いし衛生的にも良くないな。
今日は早く帰ってきて、何とか21時までに諸々済ませたけどスマホが気になってしまって、弁当と皿洗いをしてたら23時になってしまっていた。
スマホ依存である。
今日考えてたのは、やはり自己肯定感についてで、毎日毎日同じ事を考えてるから情けなくなってくる。
自己肯定感というか、自己という形骸的なものについて考えていた。
私は今何の自信もなくて、仕事をしてないから他人に認められることもないし、何かを生み出す趣味も創作もしていないから、外界から自己を認識される事が全く無い。
だから「何かをすごく好き」でいることでアイデンティティを保とうとしている。「何かをすごく好きな人」は魅力的だと思っているからだ。
何かを特別に好きな感情と、それに伴うエネルギーを行動に移す事で、外的接点が生まれ、私は自己が「まともである」と証明して安心したいのだ。
物を購入するとか、出掛けるとか、感想をSNSに呟くとか。
但し、その行為自体が「何かをとても好きな人」を演じていることにも気付いているため、私の中の「好き」という感情全てが今信じられないようになってしまったけど。
つまり、「まともな人」でありたいがために、故意的に「何かをとても好き」になっているのではなかろうかと。
自己というのはとても曖昧で脆い。
自分ひとりでは、自己の存在を証明できない。第三者がいなければ、自己などあってもなくても変わらないのだ。
自己は、対外的な接点を持つ事で、明るみに出て輪郭をなぞられ、初めてそこに存在するのだと思う。
だから、1人だけの世界で生きるだけならば、自己なんて必要ない。
外から認識する他人も、比べようとする他人もいない、つまり私の自己の存在を証明できる第三者がいないからなのだ。
しかし私は残りの余生あと50年近くをどうにか生きていかなければならないそうなので、他人との関わりは避けずに通れないため、自己の維持について苦しんでいる。
もう逃げたい、面倒だから手放したいと思っているけど、誰もそれを許してくれない。
眠いからツイッターに呟いてた奴の方がちゃんとしてた気がする。
夜は昨日のポトフと、温やっこに春キャベツのおかか和えをのせた。
ポトフは日が経つとグンとスープが甘くなる。
だめだ眠い。
もう25時を回ってしまったばか。
せっかく23:30に布団に入ったのになあ。