20191115_大好きなバンドが終わった日
NICO Touches the Wallsが終了した。
昨夜はスマホ触ってたら目が冴えてしまって、眠ったのは5時ごろに戻ってしまった。
13時くらいに起きてTwitterを開いたら、TL一番に飛び込んできた画像1枚。
誰もいないのに「嘘でしょ」と思わず呟いた。
正午に発表されたらしい。
毎年恒例になっていたイイニコの日、11月25日のイベントが発表されなくてファンもざわついていた。
年末の各フェスも出演予定が全く出なくて、不安だった。
まさか、こんな急に、大好きなバンドが終わるとは思っていなかった。
解散というワードをわざと使っていないのにも意味があるんだろうけど、それすら考えられないほど衝撃だった。
予兆はあった。
昨年10月のNxAツアー、名古屋公演は日本特殊陶業会館のフォレストホール で行われた。
ニコモバ会員(月額制ファンクラブ)でチケットを取れた私は、一階席の中ごろだった。
ライブハウスとは違って座席指定だったし、仕事もあったので、開演20分前くらいに着いたように思う。
荷物検査とチケットチェックを済ませ、ライブ特有の高揚感に胸を熱くしホールに入ると、昂った心臓が冷たくなるほどの光景が広がっていた。
座席が2/3以上埋まってないのだ。
誰もいない赤いシートの座席列が、左右に大きく広がっていて、ただただ恐ろしかった。
その時は目の前の現実を受け入れられず、平日だし皆ギリギリに入るんだろう、と思い込んで席についた覚えがある。
指定席だから大きめの仕事鞄も、足元に置ける。
ふと、さすがに二階は埋まってるだろうと期待を持って二階席を見上げた。
一列目に、数人いるだけだった。
数えられる人数だった。
フォレストホールは3階席まであったが、最早照明は点いていなかった。
やった、比較的前の方だ。と喜んだ会員チケットは、後ろにあと1列人が座っただけだった。
開演まで、何度も何度も後ろを振り返ったのを覚えている。
何やってるんだよ皆、走りなよ、ライブ始まっちゃうよ。
嘘のようなガランとした空間でスモークが焚かれ、ライブが始まってしまった。
4人を照らすステージの強い照明は、遮るものがない一階席を奥の奥まで照らしていて、妙に明るかったのを覚えている。
必死に跳んで、必死に手を挙げた。
この状況で一番つらいのは、全てを見渡す事のできる4人だと思ったから。
ここに、ライブのために仕事を死ぬ気で終わらせて、全力で楽しんでるファンがいる事を伝えたかった。
彼らは客入りについて触れなかったように思う。
いや、掠る程度に触れたかもしれない。
それでもパフォーマンスの勢いや表情には、目の前にいる私たちを全力で楽しませてやろうという笑顔の端で、戸惑いだとか、落胆だとかの色が僅かに滲んでいて、胸が痛かった。
私が初めてNICOのライブを観たのが、このフォレストホールだった。
当時はライブTシャツを着たロックキッズがたくさん並んでいて、三階席まで埋まっていた。実はアルバムしか持ってなかったから、帰りにシングルも買った。
本当に楽しかった。
どうしてこうなってしまったんだろう。
それは私たち一般人にも何となく察せられる事で、みっちゃんが書く曲が180°というか、270°くらい角度を変えたからだった。
手をたたけ、真夏の大三角形、バイシクル。
爽やかでノリが良くて、誰かを応援してくれるような、太陽みたいな曲。
そこからアニメ主題歌に起用された天地ガエシやマシ・マシなど、ACO Touches the Wallsとしてアルバムも出した経験が生きたアコースティック調のミドルテンポだけど、みっちゃんの負けず嫌いさが強く出た人間らしさが強い曲。
NICOの入口は、大多数がそこだったかのように思う。
何にせよ私だってそうだ。
でもこのバンドは、デビューからそんな陽気な曲ばかり歌うバンドじゃなかった。
image training、病気、壁。
ダウナーなメロディーでアングラな世界観を歌う曲が多かった。
ここ数年のEPやQUIZMASTERにも、そういった初期の世界観が垣間見える。
当時から更に11年の時を経て、洋楽や多岐に渡るジャンルの音楽を聴いてきた4人だからこそ出来る、唯一無二のNICO Touches the Wallsの音楽を磨いてきたように見えた。
まだまだ、私たちに新しい音楽を魅せてくれるんだなと思ってワクワクした。
今はzepp NagoyaでもなくELLのキャパだとしても、彼らがこの形を完成させたなら、いつかまたこの音楽が爆発して、きっとどんな大きな箱にも相応しいバンドになってくれるんだと思っていた。
それがこんな形で終わってしまう事になってしまって、本当に、心底悲しい。
私だってこの数年、離れてしまおうかと思った事もある。
それでもライブに行くたび、彼らのパフォーマンスは絶大だし、上がり続ける演奏技術、セッション、アレンジ、みっちゃんの歌声、カレキーズのハモるユニゾンに心は揺さぶられて、彼らがまた大勢の人々をぶち上げてくれる日が見たいと思って今まで付いてきた。
タイアップが無くたって、ずっと生きているバンドもいる。
1年間新譜を出さなくても続いているバンドだっている。
好きだったバンドがこんな最後を迎えてしまった事に対して、何も出来なかった私が悔しい。
ただの一般人だった私に、何が出来る訳でも無いけれど、彼らが道を分かれる理由すら真実を知ることができないのも悔しい。
26年生きてきて、大好きなバンドが解散するのは初めてだった。
事実を受け止めきれなかった。
酷く動揺していた。
ラストワンマンライブとなったのは私が行けていた6月9日の大阪公演だと分かっても、マウントを取る気にもなれなかった。
Twitterで同じように、また同じ以上に彼らを愛してきた人たちの思いを読んで、この衝撃を緩和させることしか出来なかった。
とても辛い。この辛さから逃げたくなる。
目を逸らしてしまう。
彼らの音楽に耳を向ける事すら怖くなってしまう。
トーストにバナナとOIKOSという朝食のような遅めの昼食をとり、東山公園1万歩コースに向かった。
他にタスクがあったはずだけど、思い出すことができなかったし、昨日のメモを読み返す気も起きなかった。
とにかく歩こうと思った。
片付けや準備がうまく進まなくて、一昨日より1時間半も遅れて出発した。
コースは覚えたから、タイムは1時間18分と、少し縮んだ。
コース6.2km、行き帰りの2.2kmをプラスして8.4km。
山中、何度もNICOの事を考えたけれど、何も答えが出なかった。
ていうか、答えって何なんだ。
一昨日痛めた左膝の裏が痛かった。
帰って思わず、radikoのプレミアム会員に登録した。
一番好きな関西のラジオ局、fm802を聴きたくなった。
先日まで関西にいたから普通に聴けていたけれど、こちらに帰ってからは厳しい財政事情もあって加入を迷っていたのだけれど、もう迷う時間もなかった。
正確に言えば、fm802で掛かるであろうNICO Touches the Wallsを聴きたかった。
いつだって誰よりアーティストを愛し、ロックバンドを愛し、音楽に出会う場を作り続け、リスナーと音楽、リスナーとアーティスト、リスナーとリスナーが繋がる場を作り続けてきたラジオ局だ。
私が思う、どんな曲も愛を持って誠実にリスナーへ届けてくれる、そんな局から聴きたかった。
どこか、信じられない自分もいたように思う。
きっとあれは嘘か何かで、私が少し冷静ではなくて、しっかり読めば実は違った事実になるかもしれない、そういう解説をしてくれるかもしれない、なんて期待した。
あとは、この動揺をリスナーと、曲を届けてくれるDJと共有したかった。
リクエストを送ろうと思ったけれど、この気持ちを何て綴れば良いか分からなかったし、今何の曲をリクエストすれば良いか分からなくて、送れなかった。
夕方のAWSOME FRIDAYSは、仕事中に流し聴き出来るような耳触りの良い、どちらかというと洋楽寄りのオシャレな曲を流す番組だったけれど、image trainingを流してくれた。
802でNICOにとって、初めてのヘビー・ローテーションだったらしい。
一番認知度の高い天地ガエシや手をたたけだと思っていたので、曲選びがやはりfm802だなと、じんとした。
お風呂に入ってご飯を食べたあと、ROCK KIDS 802 -YUME GO AROUND-を聴いた。
学生向けの番組だけど、最新のロックを流してくれるし、ロック愛が強くて色んなバンドがゲストで来ると楽しそうに話して帰るし、月-木DJのオチケン(落合健太郎)が好きだったからよく聴いていた。
あ、今日は金曜だからゆめちゃんか、と思った。
個人的にラジオは男性声の方が聴きやすかったので、金曜担当の鬼頭由芽ちゃんは声が非常に通る方で、私の耳には通り過ぎてしまって、実はあまり聴いていなかった。
それでも、ロックバンドを愛し、ロックバンドに愛されたこの番組で、どうしても聴きたかった。
AWSOME FRIDAYSで現実を少し実感した私は、開始前にメッセージを送った。
きっとマイナーな曲を送ってもやはりラジオ、可能な限り多くの人が共感できる曲を流すだろうと思い、「手をたたけ」をリクエストし、メッセージは歌詞を引用して書いた。
冒頭から数曲は無関係の新譜やらリクエストで、20分経ったくらいの頃にゆめちゃんが「今日驚かれた方も多いと思います」と話し始めた。
最初に流れた曲は、やはりimage training。
そのあとにTwitterコメントを引用し、22時から3曲、特別にリクエスト大会を行うことが告知された。
毎日生放送される番組だから、構成は数日前から固め始めている。
それでも当日お昼に解散が発表されたバンドに、三曲分の枠を割いてくれた事に感謝しかなかった。
思わず、もう一度スマートフォンを握り締めて、2度目のメッセージを送った。
二回も送るなんて、もしかしたらその時点で弾かれてしまうかもしれない。
でもゆめちゃんの言った「NICOの好きな曲や、エピソードをたくさん教えて下さい」といったような一言に、今の想いをぶつけるならここしか無いと思った。
最初のメッセージは、読まれたくて言わば媚びたリクエストだった。
今度は本当に好きな曲を書く。
ラジオで掛けられるリストに入っていたか記憶が曖昧だったけれど、「エーキューライセンス」を書いた。
アルバム「勇気も愛もないなんて」のリード曲だ。
そのアルバム発売が発表された武道館でのライブで初めてお披露目され、武道館に響くアカペラでのユニゾンから始まるそのエネルギーに心が踊って、一瞬で好きになった。
zepp Nagoyaでのライブは、大学の卒業式と被っていた。
長かった学生生活が終わり、立派な袴を着せてもらって仲間と別れる大事な1日だった。
記念写真もそこそこに、私は駅のトイレで袴を脱ぎ、そのまま名古屋駅に直行した。
どう頼み込んだか覚えていないが、受け取りに来てくれた父親に袴を持って帰ってもらった。
高いお金でレンタルした袴を一瞬で脱ぎ捨ててしまい、とても罪悪感があった。
それでも私は、髪のセットもそのままに、zeppまで走った。
ライブで聴いたエーキューライセンスは、格別だった。
生で聴く歌い出しのユニゾンは背筋が震えて、卒業式では出なかった、涙が出た。
よく分からないまま就職先を決め、これまで簡単に言えば大多数と同じように中高大学まで歩いてきた私が初めて就職という真っ新な未来をゆくという、言い難い期待と不安の中、彼らの歌は明るく強かった。
「眠れない君をのせて 知らない街から街へ
あしあとは道標 どこへだって行けるのさ」
足跡はみちしるべ。
過去を肯定して、その先の自由ある未来を顕示してくれた。
どこへだって行けるのだ。
本当に、そう思った。
顔がぐしゃぐしゃだったと思う。
横にいた違う大学の友達に、お前何で泣いてないんだと面倒臭い憤りを覚えたような気がする。
それほどあの曲は私にとってタイムリーで、ど真ん中ストレートだった。
とても心酔していて、それはそれは私の中のヘビー・ローテーションだった。
その思いの丈を長々とメッセージにしたためて、リクエストフォームを送信した。
回していた洗濯が終わったので、干しながら聴いていると、丁度22時を過ぎて、特別リクエスト大会が始まった。
冒頭は勿論、手をたたけ。
誰もが、NICOを知らない人でも歌える、ノレる、王道曲だ。メッセージもシンプルに王道で、それだけ人に愛されたのだと誇り高かった。
ハンガーにかけたカットソーのシワを伸ばしていると、radikoからあのユニゾンが飛び込んできた。
「眠れない君をのせて 知らない街から街へ
あしあとは道標 どこへだって行けるのさ」
思わず私はその場で壁に手をついて、嗚咽をあげて泣いた。
立っていられなくて、その場に座り込んでしまった。
これは、私が送った曲だ。まだメッセージが読まれてなくても、何故だかそう思えた。
これは、私が望んで、電波に乗せてもらった、大好きな曲だ。
フルコーラスで掛けてくれた「エーキューライセンス」は、私の嗚咽と混ざって、あっという間だった。
「NICO touches the wallsで、エーキューライセンスでした」と話すゆめちゃんは、一番に私のメッセージを読んでくれた。
うざったいくらい、中学生みたいなポエムを上手く切り取って。
それでも私が大好きな歌い出しの歌詞をきちんと朗読してくれて、涙が止まらなかった。
言葉にならない声が漏れ続けた。
私の他にもリクエストしてくれた人たちもいて、嬉しかった。
最後に流れた曲は、やはり「天地ガエシ」だった。
リクエスト大会で流れた三曲の中で、エーキューライセンスだけが唯一、シングル曲じゃなかった。
タイアップもないアルバム収録曲なのに、認知度だって低いはずなのに、貴重な枠を使って流してくれたのだ。
本当に感謝しかなかった。
fm802、RK802のスタッフ、そして読んでくれたゆめちゃんに、そしてNICO Touches the Wallsに。
気持ちの整理なんか全然出来ない事をもうそのままメッセージにぶつけて、そこは勿論読まれなかったけれど、支離滅裂な中で私の言いたかった事を読み取って抜粋して、読んでくれたゆめちゃん、ありがとう。
あなたが私のメッセージを受け止めてくれたおかげで、落ち着くことができて、まず、とにかく、何がなんでも、彼らに感謝を伝えるべきだと思えました。
悔しくて悲しくて仕方ないけれど、これだけたくさんの曲を、ライブを、本当にありがとう。
ゆめちゃんは最初に、「NICOは負けず嫌いな曲が多い」と言ったけれど、確かにそうだったかもしれない。
みっちゃんは特にそういう歌詞を書いたし、演奏やライブ構成、アコースティックだって、常に他のバンドがやっていないようなことに挑戦し続けて、王道ばかりじゃない、新しい音楽を私たちに届け続けてくれていた。
それはきっと彼の中にある小さな劣等感が常に炎を燃やし続けた結果、大きな向上心と追及心に繋がったんだと思う。
彼らに出会わなければ知らなかった音楽、生でライブを観る楽しさ、アレンジによって変わる曲の楽しさ、アコースティックの楽しさ、数え切れない。
まさか、こんな事になるなんて思わなかった。
それは今だったそうだし、だからすぐ前なんて見れない。
友達からきた悲しいねLINEだって、返す気力にもなれなくて、放置したままだ(ごめん)。
それでも、4人にどうか伝わりますように。
あなた達の曲がなければ、私はここまで歩いてくることが出来ませんでした。
聴き慣れた言葉かもしれないけれど、10代から20代まで、何度も何度も、あなた達の曲で、人生を支えられてきました。
ラストライブすらないなんて、1125の日すら何もないなんて、本当に怒りたいけど。
ていうか何かありがちな匂わせした古くん、許さないからな。
ニコモバは、サービス終了まで入り続けるので、僅かな希望くらい持たせて下さい。
これからの4人を素直に応援できるほど、心も広くないけど。
これだけ他人の人生に影響しておいて、私より長く好きでいた人たちもたくさんいる中で、長かった15年をあの画像一枚でお別れするなんて酷すぎるなと思うけど。
最後に4人のライブを見れないなんて、やっぱり今も許せないけれど。
これだけは間違いなく伝えるべきだ。
本当にありがとう。
私はNICO Touches the Wallsというロックバンドが、大好きでした。
(そう思わせてくれたROCK KIDS 802 -YUME GO AROUND-スタッフ、そして鬼頭由芽ちゃんにも、感謝と愛を込めて。)