せんたくばさみ

たくさんとめる

20191123_考えた日

日記11日目。

今朝は早くに業者が来る手筈だったが、遅刻の連絡が来て予定が狂った。

 

朝ごはんを食べ損ねそうだったので、バナナとアロエヨーグルトと野菜ジュース、今日は食パンにそのままマーガリンを塗って食べた。

 

来た業者さんはろくに調べもせず、「これが普通です」なんて言って帰っていった。

普通じゃないから呼んだのだが。

また様子を見て、というより故障してからでは遅いからこうして先に呼んでいるのだけど、どうも毎度対応のたびに上司に連絡して許可を取っていたので、この人に何を言っても意味がないと無力さを感じて疲れた。

 

そのあと洗濯を回して干した。

昨日の雨が嘘のようにかんかん照りで、ベランダに出ると直射日光が暑いくらいだった。

そうしてまだ11時前だったが何にもやる気が起きず、ただ座ってスマホを触っていた。

あすの予定を連絡しなければならなかったからだ。

 

行きたくない、気持ちの方が正直強かった。

仕事じゃない部分で嫌われ、嘘を言いふらされ、評価を落とされ、覚えの無いことで責められ、情報を伏せられ、嘘をつかれ、人格ごと否定されたことは初めてだった。

ましてや、私の唯一の夢だった職業で、それを志望していなかった人物からのとてつもない自分本意で田舎独特の矮小的なモラルハラスメントを受け、私自身が想像以上にダメージを受けている。

 

行ったら、全てを思い出す。

私が立てなかった場所に、客として見に行く。

もし私がいる筈の場所に、あの人がいたら。

そんなの、自傷行為でしかない。

 

でも、別れ際見送ってくださった一部の皆さんと約束したのは私だ。

信頼を失いたくない、という臆病な気持ちと、現金な話だが、今後のことを考えると今彼らの縁を切りたくなかった。

 

友人に相談内容を送ると、行かなくてもいい、これくらいで縁は切れない、と連絡が来た。

私が一番安心して身を守れるような言葉をくれてありがたい。

それでも上手く受け止められなかった。

自分から投げたのに主題を逸らしてしまった。

 

分からないまま、13時近くになっていたので、取り敢えずお昼に焼きそばを作った。

こないだ、普段行かない薬局に入ってみたら、焼きそばともやしが同じく18円なのにも関わらず普段使うところとメーカーが違ったので、食べ比べたくなったのだ。

もちろん具材はもやしに冷凍しめじとシーフードミックスである。

得意のノー包丁飯なのだ。

 

お昼はアメトークの競馬芸人を見ながら食べた。

焼きそばともやしは、断然こちらのメーカーの方が美味しかった。

麺が細い分ベタベタせず独立しており、コシがある。

もやしも根っこが取ってある分食べやすく、心なしかシャキシャキ感が強い。

少し遠いけど、18円の価値を求めてなるべくあちらの薬局に行こうと思った。

 

半分くらい見終わったところで、もう一度考えた。

やっぱり行くことにした。

今の私は、今まで好きだったものを全て避けようとしている。

全てが結び付いてしまい、いつまで経ってもあの記憶から逃げ出せなくなってしまうからだ。

テレビもニュースも、そのジャンルに特化したTwitter垢も開こうとしない。

思い出して辛くなるから。

もう何も考えず、ただのファンにはまだ戻れないのだ。

その苦しさをどう解消すべきかを考えたが、答えは判らなかった。

 

それでもこの先、何年も何十年も目を背け続けるのは嫌だった。

「私の情けない思い出が蘇るから見たくない」と言っても、この先、来年なんて特に、どう生きたって私の目にぶつかってくる。

逃げられないのだ。

 

友人は「消えずとも、別のことに目を向けていれば、喉元を過ぎるのでは」と言った。

なるほど確かに、と思った。

恐らく記憶は消えない、これは間違いないのだ。

消そうと思っても無理なのだ。

では喉元を過ぎる、とはなんだ?

いつか吹っ切れて話が出来る日が来るのだろうか。

もし来たとしても、私はきっと本当の事を言えないで、自分の体のいいように捏造してさぞ武勇伝の如く語るだろう。

そうして外面と中身のズレがまた大きくなって、後悔は増えていく。

また欺いた、と自己肯定感も下がっていく。

もう、そうはなりたくなかった。

 

いつか今のことを思い出したとき、「行けば良かった」より「行かなければ良かった」と後悔する方がまだ良いと思った。

どんな事になっても、向き合おうとして足を運んだ自分がいたことくらいは、きっと褒めてあげても良いと思うからだ。

「行けばよかった」は、それこそたらればの戯言だ。

行った先で何が起こるかは、空論でしか無くなってしまう。

私は行って、これからもスポーツが好きでいたいのだ。

「スポーツが好きです」と胸を張って言い続けたいのだ。

 

私の過去は、これでもかというくらい人の縁と機会に恵まれていた。

後ろを振り返れば全てが私の夢に結び付いていたような、本当に奇跡のような道のりだった。

だから私もきっと運命だと勘違いしてしまっていたのだ。

私はプロにはなれない、ただのファンだったのだ。

 

勢いで幼少期からのキャリアを書き殴っていたが、そうすると否が応でもバレてしまうのでやめた。

 

取り敢えずそう、そうなのだ。

振り返った時、この現状に向き合った私がいたという事実が欲しいのだ。

会場で泣いて逃げたっていい。

そこまで行く事が、きっとこの先の後悔を少しでも軽くしてくれることを信じている。

 

今でも上澄みだけしか考えられず、より深く思考を巡らす事が出来なくて情けない。

こうしてまた「もっと考えれば良かった」と失敗してから反省するのだ。

それでももう高速バスは取った。

もう逃げないのだ。

 

 

景気付けに、一駅歩いてスイーツの名店で焼き菓子を買った。

メルカリの発送のついでだけれど。

最初は手土産のお菓子を選ぼうと思ったが、あすの交通費とチケット代を考えると口座が恐ろしくなるので、手を出せなかった。

もし明日間に合えば、駅でもう少しお手軽なものを買っていければ。

ああ、お財布に痛い。

でも手ぶらで行くのは、私の覚悟に対して心許ない。

うわつく心に紐を縛って、手土産で沈めておかねばならない。

 

そんなこんなで帰宅し、何でか勢いで掃除機をかけた。

まあ良い事だ。

 

湯船に入って体を温めようとお湯を貯めたが、先方へ連絡した後廊下に座り込んでしまい、1時間くらい経ってしまって、お湯が完全に冷めてしまったのはただただ勿体なかった。

 

夕飯はこちらも景気づけに、多めに肉を食べようと思った。

なかなかレシピが思い浮かばなかったが、玉ねぎもあったし、「赤」で元気になろうとチキンのトマト煮を作った。

鶏肉の旨味とみじん切りの玉ねぎエキスがトマトに染み込んで、濃厚でガツンときた。

あ、夕飯は「勇者あああ」を見ながら食べた。

相変わらず緩かった。

 

今日は食器も洗えた。

あす忘れ物がないよう、入念に準備をした。

もう水筒にもお茶を入れたし、非常食(!)も持った。

なるべく外食でお金を使いたくないので、持てるものは持っていく。

私の今の社会からずり落ちた立場を忘れないようにしないと、本当に貯金がゼロになるのだ…。

 

ああ、せっかく11:30には布団に入れたのに、またこんなに駄文を連ねるだけで25時になってしまった。

一部カットした部分も含めれば、また四千字は超えている。ばか…。

 

あとは明日、寝坊しないできちんと起きる事が最重要タスクだ。

お金も下さなきゃいけないし…結局ギリギリまでグダグダなのだ。

ダメなものは変わっていない。

でも何とか、明日1日は取り繕えますように。

後半は久しぶりに考えすぎて頭が痛かった。

ここ数ヶ月、大して何も考えてないからなあ。

 

母にもらった厄除のお守りを持って行こう。