20191127_ベスアの日
日記15日目。
何とか続いている。
今は1:30、0時には寝る目標にはまだ届かない。
今日もお昼すぎに布団を出た。
寒くなったからというのと、やはり曇りだと暗くて気分が落ち込む。
朝昼兼用で、もういっそと思いトーストを2枚焼いて、あんバターと目玉焼き乗せにした。
餡子は貰い物のコメダのやつが余ってたので、使い切った。
気晴らし程度に野菜ジュースを飲む。
昨日買い物に行けなかったから、朝食の材料がないのだ。
かれこれ4年、一人暮らしを始めてから自炊した食事はほぼ全て写真を撮ってインスタ にあげていたのだが、昨年6月くらいから更新をすっぽかしていたので、写真だけが私のiPhoneに残っている。
結構ちゃんとした記録になってるので、この膨大な時間を利用して追いつきたいと思った。
なのでこの日記にはあまり飯の写真を載せないようにしていたけど(ここに掲載して満足してしまいそうだったため)、あまりにも殺風景なのでちょこちょこ載せよう。
更新するステップは忘れるのに、写真は習慣化して無意識でも撮ってるので、よく分からない。
お昼はセブンルールを見ながら食べた。
今回は救急外来の女医さんで、厳しい現場で妊娠中なのにしっかり働かれていて驚いた。
辛い現場でもご飯はしっかり食べる、通勤は好きな服を着るなど、どの職業でどの性別でどの年齢の人にも当てはまるような、基本的なルールを大切にされていて、素直に尊敬した。
自分のためだけでなく、これから医者を目指す女の子達のためにも、ずっと医者としてあり続ける姿勢が格好良かった。
8時間シフトがしっかり敷かれているからなのか、彼女含め周囲の関係者の顔色もよく見えた。
来週はゴッドタンにも時々出演している、お笑いイベンターの児島さんなので楽しみだ。
そのあと、何をしていたのかあまり覚えていない。
また無駄な時間を過ごしてしまったのだ。
何か一つ目の前の視界を奪うもの、スマホや爪などがあると、脳が他ごとを考えるのをやめて没頭してしまう。
15時を過ぎた頃、手紙を出さねばと思い立った。
家賃の口座振替が間に合わなかったのかコンビニ振り込みの通達も来てたし、野菜を買いに行かないと冷蔵庫にネギと豆腐しかない。
あとセブンで関ジャニ∞の「友よ」を受け取らねば、と思いながらぐだぐだ着替えると、16時になっていた。
まず自転車で郵便局に行き、52円とか端数の切手を84円に変えてもらえないか聞いた。
郵便局のお姉さんはとても親切で、数十円でも気になる貧乏な私を無碍にせず、手数料を掛けて交換するよりも追加で支払ったほうが損しない事を教えてくれた。
52円に追加で32円支払うとその分の切手を貼るか、証明シールみたいなやつを貼るか聞いてくれる。
面倒だと思ったのでシールで、と言った。
そうしたらお姉さんは、封筒の柄を邪魔しない位置を探して「ここですかね?」と貼る前に聞いてくれた。
デザインに凝ったレターセットをコレクションするのが趣味な私としては、その心遣いがとても嬉しかった。
ノーメイクでほぼジャージの26歳芋女がたった84円で窓口に来ても、そんな丁寧に対応してくれるなんて、と心がほこほこした。
あのお姉さんに良いことがありますように。
ありがとうございます、と言って、八百屋へ向かった。
東山の1万歩コースを歩いたとき、こんな所に八百屋があったのか、と始めた知ったところだ。
おじいさんとおばあさんが切り盛りしていて、近所の人たちで回っているような小さな店だった。
「小さくとも新鮮さが自慢です」と書かれていたので気になっていた。
値段的には近くのスーパーとそう変わりはないような気がした。
サイズが小さかったりするぶん、安かったりする。
物は良いのかな、と思いながら小ぶりの人参が4本で100円と、ネギ二本100円を買った。ネギは産地によって値段が違って、あと古いのか少し安かった。
あと今日はカレーを作る予定だったので人参はマストだったのだ。
そのままATMに行って、家賃分を下ろす。
スーパーの火曜特売で、ゴボウと1L88円のC3000ゆずジュース、あと分かれてないタイプのヨーグルトも88円だったので買う。
四つ130円のより、この方がコスパが良いかもしれない。
ゴボウは扱ったことがなかったのだけど、最近自分の作る料理がワンパターン化してきて飽きていたので、カレーに入れてみようとふと思い立ったのである。
最後にセブンに入ったら堅あげポテトの香ばしにんにく味が期間限定で出ていたため、迷わず2袋取る。
堅あげポテトの新味が出ると、必ず2袋買ってしまう。
特ににんにく味は私を裏切らないのだ。
並んだレジは東南アジア系のバイトくんと、オーナーらしきおばちゃんだった。
まず初めに面倒で申し訳ないと思いながら、3件お願いしたいと話す。
家賃の振込みと注文していたCDの受け取り、それと堅あげポテトの精算である。
改めて面倒な客だと思った。
おばちゃんはテキパキ系の世話焼きさんって感じだったけど自分のことしか見えていないタイプだったので、バイトくんがゆっくりでも自分で頑張ってるのになんだか可哀想だった。
「画面に完了の文字が出たら、タッチして判子を押すのよ!今は私が消しちゃったけど!(ニュアンス)」みたいなふうに教えていて、消してあげるなよ…と思った。
勢いで捲し立てられた彼はもちろん困惑しながら取り敢えず頷いていた。
全てを終えお礼を言うときは、おばちゃんではなく頑張ってる彼の目を見てお礼を言った。
そうして帰ったらもう17時で、いい時間だなあと思った。
今日は19時から日テレ系でベストアーティストがあるので、それまでにお風呂に入って夕飯の支度をしたかった。
今日はジャニーズメドレーに加え、SixTONESとSnowManのデビュー曲が初披露されるからだ。
と思って何でかスマホを開いて確認しようと思ったら、なにわ男子の当落メールが来ていた。
ノリにノる彼らの初めての全国ツアーはチケットが取れなかったが、来年1月に追加公演が決まっていたのだ。
慌てて確認すると、初めて当選していた。
彼らを初めて認識したのは昨年の関ジャニ∞のGR8EST凱旋公演で、ジャニーズJr.全体のファンクラブに入ったのは今年に入ってから。
初の当選である、ありがたい。
しかし日程は正月後の冬休み期間というめちゃくちゃ混雑期なので、慌てて高速バスを取った。
この年で高速バスもあまり乗りたくないのだが、今の私の財政状況はそうも言ってられない。
まだバスの方が、近鉄より安いのだ。
うーん、正月の高速なので事故に巻き込まれたりしなきゃいいけれど、なんて不安になる。
でも電車だって混んで下手したら座れないかもしれないし、泊まったって余計に出費が嵩んでしまうだけなのだ。
うーん、お金が無いとつらい。
だからと言って、今少しでも好きなものを諦めるとまたネガティブモードに入りそうなので、何とかオタク部分は多方面で生かしていたい。
諸々予約なんかをしていたりしたら、もう17:30を回っていたので、慌ててカレーの下準備をした。
ゴボウの皮は剥きすぎも良くないとオレンジページで調べたので、包丁の背でこそぎとった。まな板は汚れたが、意外と面白かった。
豚肉は冷凍してあった薄切りロースを短冊に切った。
こういう時、細切れは楽なんだけどなあ。
買ってきた人参とゴボウ、家にあった玉ねぎと半分残っていたトマト缶と水を加え、ひたすら煮る。
コメを洗って炊飯器をセットしている間に風呂に入った。
脱衣所が無くキッチンの真裏に風呂場があるのは本当に厄介だが、唯一のメリットは何か火にかけたままでもお風呂に入れることだ。
万が一があればすぐに気付ける(真似すべきではない)。
急いで風呂を出て、顔に諸々叩いてからフライパンの火を止め、お皿に盛る。
根菜カレーの出来上がりである。
ベスアは既に5分が経過していたが、企画もので特に問題はなかった。
まあ全て録画しているのだけれど。
内容は日テレとジャニーズ事務所の仲の良さがよく分かる構成だった。
但し日テレの音楽番組はカメラワークと音質、観客演出がとても良くない。
何故バラードで手拍子をさせるのだろうか。
いくら共感の時代であっても、溶け込んでいなければ演出があからさまに臭くて吐き気がするだけだ。
ノリの良い曲でも表拍で手拍子させるって、歌ってるアーティストに失礼じゃないのだろうか。
ただ「友よ」は変な演出なしで歌わせてもらえて良かったなあ。
主題歌となってるドラマの主演として生田斗真が来て、櫻井くんとエイトが並ぶ同年代感はほっこりした。
セクゾもWESTも全部踊らせてもらえなかったし、何だかなあと思う。
ただ純粋に彼らのパフォーマンスを映す番組は出来ないのだろうか。
今やMステさえ企画ものに頼ってきてしまっているため、どんどんと音楽がよく分からないものになっている。
その曲がより良く映るための演出ならまだしも、もうチャンネルを変えさせない露骨なエサにしてしまっているのは甚だ疑問である。
例え映画館に座っていられない若者が増えているとしても、ただステージ上で演奏して歌うフェスを丸一日見ていられる人間だっているのだ。
音楽番組が厳しいのもわかるが、せめて音楽を邪魔しないギリギリの所で止めておいて欲しいとは思う。
あとはキンプリ永瀬のビジュアルが良かった。
完全にチャラいホストみたいになっていて、あの金髪を巻いて顔が良くてスタイルも良くて関西弁なんだから困ったものだよなあ、何て見ていた。
スノスト新曲は、正直に言うと、期待値までいかなかったのが本音である。
去年の王道という王道を詰め込んだシンデレラガールの成功が大きすぎたのもある気がするけれど。
ストはライブで見るオラついた若いギャングのような爆発力が無く、ミドルテンポのバラードのようになってしまっていた。
デビュー曲なのに樹の代名詞でもあるラップパートが無かったのも衝撃である。
どちらかと言えばきょもの歌唱力を生かした構成なのだろうか。
デビュー曲としてのパンチ力が無く、パフォーマンスもフレーズも耳に残らない。
スノは持ち味のアクロバティックをガッツリ生かすパフォーマンスで、画面に華があった。
タイトルの「D.D.」が何を示すのか、という引っ掛かりからサビの歌詞まで誘導する形になっているので、比較的こっちの方がまだインパクトはある気がする。
特にガチヲタで小柄だけど身体能力は随一の佐久間がバク転でセンターに入ってから構成、美声のしょっぴがロングトーンを魅せるパートなど、グループの強みを出しやすい曲だったように思う。
やはりシンデレラガールが強過ぎたのだ。
歌い出しから「君は シンデレラガール My precious one」というパワーワード、女の子達を一気にシンデレラに仕立て上げる夢の一曲。
曲名自体が既にキラーワードになっており、メロディも耳に残りやすい。
振付も最後の腰元でマークを作るポーズが印象的で、目にも面白い。
ジャニオタ以外の反応を見ていないのだが、世間はどう見たのだろうか。
特に今回は2組同時デビューとなる。
露出も2組セットで呼ばねばならず、キャスティング側も使いづらいのではなかろうか…なんて無駄な心配をしてしまった。
青春ドラマメドレーは前半は青春アミーゴでフライングSiがトレンド入りしたのが面白かった。
ケンティーかしら。
後半の方が肉厚で、きゃんごーを踊るエイトはアイドルで楽しそうだったし、キスミスを踊るJUMPはセンターがありやまで、私が沸いた。
真夜中を歌ったキンプリもレアで楽しかったけど、やはり本家山田の「shadow…」には敵わねえなと思ってしまった。
NEWSの宙船は歌唱力が爆発していた。
NEWSのクラブW杯テーマソングもそうだが、これだけ声質の違う4人がハモリもせず同じ主旋律を全員が熱唱して一つの塊になるのは、何かの奇跡かと思う。
中心メンバーが抜けたけれど、彼らにしかできない魂のぶつけ方、新しい歌い方だなあとつくづく感じる。
欅坂はずーみんもねるたそも抜けて、もう名前が分かるのもてちしかいなくなっていた。
当初光を持っていたてちが今は何を見ているのか分からなくて、彼女をいつまでも称えあげるパフォーマンスは果たして意味があるのか?となかなか理解ができない。
曲も全て大人が書いて歌わせているから彼女たちの意思も感じず、紅白で崩れたあの脆さを感じて恐ろしくもなる。
乃木坂は…いくちゃんが可愛かった。
FNSでまたミュージカルコラボをしてくれそうなので楽しみです。
あと花*花が懐かしくてびっくりした。
カラオケに行きたくなった。
家に1人なので、とにかくTwitterで呟いてしまった。
自己顕示欲と共感欲の塊である。
実家に帰っても、母はアイドルやアーティストに執心することをどこか卑下しているので、私はあまり趣味の話を母にしない。
彼女の無趣味な価値感のせいで、私自身も学生時代から周りと遅れた価値観に悩まされているのだから。
いや今そんな事はどうだっていいのだけれど、同じ熱量で何かを楽しめる友人がいるといいなあ、なんて思ったりした。
実況ツイートをしたくてたまらないというか、湧き出る感情を吐き出さないと、という気分になるのだが、やめた方がいいのだろうか。
少なくともTLに流れるそれは鬱陶しいのだと分かっているのだけれど。
さて、明日はまた曇りだ。
夜は日プがあるので、またしっかり逆算して動かねばならない。
片付いたと思いがちな引越し荷物、見慣れてしまっただけで散らばってる物が多い。
片付けと、放置していた重要書類に目を通す。
あと散歩がてら、遠目の薬局に行って焼きそば買ってこよう。細麺が旨かったのだ。
そういえば今日、あと3ヶ月の家計を概算した。
失業保険を満額貰っても本当にギリギリで、まずいなと思う。
ライブを当てすぎてしまったので、それを差し引くと12〜2月で自由に使えるお金は32000円だった。
年末年始、予定はほとんど無い。
こういう時、友達が少なくてよかったなんて思ってしまう。切ない。
正直今はもし親を悲しませずに生を終わらせられますよと天使か何かに言われたら、じゃあ、と言って手放すだろう。
出来れば生きたいと願う難病の子どもたちに差し上げてほしい、出来ることなら。
それも無理なら、目以外は臓器移植で誰かの役に立ててほしい。
なくなる時くらい、誰かの役に立てたという実感が欲しいのだ。
うーん、人間死際まで欲が深い。
別に自殺願望がある訳では無いけれど、生きる意味も特に無いのだ。
好きなバンドや漫画、アイドルやアニメやドラマ映画だって、仕方なく生きる上で、その辛さを和らげるために私は必要としている。
数年前まで「来期アニメはあの新作が!あの漫画の結末が!バンドの新譜が!死ねない!」と本気で思っていたけど、ここ数ヶ月は本当に無気力で、生きていれば見たいけど、生きなくて良いのなら執着する理由もないな、なんて思ってしまうようになった。
大好きだと思っていたものが、実はそうでもないと気付いてしまうようになると、とても寂しい。
両親が特に強い「好き」を持ち合わせておらず、趣味嗜好が薄い人達だったから、物やコトの愛し方をよく知らなかったのだ。
世の中にはたくさん、物を好きでコトを好きで色んなアプローチを出来る人がいた。
ああ私は、私の好きに強い信頼を置き過ぎていたのだ、と情けなくなる。
昔は手放したくなかったものが今は簡単に手放せることに気付いて、よく言う言葉を借りれば、空っぽの自分に気づく。
私は生きるために、何かを好きになっているフリをしているのだ。
自分で「あれが好きな私」を演じ、私は好きなものがちゃんとある人間なのよ、と自分自身を騙して安心しようとしている。
哀れで滑稽で愚かだなあと思う。
何の話をしてたんだっけ。
明日も曇りはやだなあ、金曜日は太陽をちゃんと浴びて元気にならねば。
何のために……ああ今日はだめな日だ。
また六千字も書いてしまった…!
自分語りは禁止にしないとなあ。
一日経ったカレーが美味しくありますように。