20191225_ずっと布団にいた日
日記36日目。
せっかく今日は朝から晴れていたのに、例のそれが2日目ということもあって何もする気が起きず、ずっと布団の中にいた。
布団を出たのはもう15時。
南東向きの部屋は既に薄暗くなりかけていた。
最近しこたま瞳が乾いていて、数秒も目が開けていられない。
本当は今日眼科に行こうか迷ったが、うだうだしているうちにこんな時間になってしまったので、明日行くことにする。
朝昼おやつ兼用に、トーストを二枚焼きながら目玉焼きとウインナーを焼いた。
マーガリンを塗ったトーストに目玉焼きとケチャップを挟む。
それだけである。
写真も撮り忘れた、生きる気力が非常に低下している日だった。
食べながらセブンルールを見た。
百貨店のバイヤーさん回だったが、ケーキのデザインや内容にまで言及していてびっくりした。
パティシエの了見だと思っていた。
スタジオトークは、新婚の若林を見守る既婚者3名、という構図が定石になり、平和なトークが増えた。
そのあとも全くやる気が起きなくて、寒いから布団に潜り直してArtist3〜5巻を読んだ。
色々多忙で買い損ねていたのだ。
パリのフランス料理店の話で、気弱なスーシェフ・ジルベールとその周りの人々の話。
本当に色んな人がその街の中でとにかく生きていて、本当に面白い。
彼らが苦難を乗り越えたり、仲間を思ったり、自分を打ち明けたりして少しずつ前に進みながら、料理を作っていく。
一気に読んでしまった。
ここ最近のアニメ化ブームにより、1巻から目を付けて買っていても殆どがアニメ化されてしまい、私の本棚はミーハーオタクと化してしまっている。
非常にめでたいのだが、悔しい。
アニメ化したから買ったのではないのだ、最初から面白いと見込んで買っているのだ。
最近は本屋で物色するお金の余裕もなくて新しいタイトルを探せず、非常にピンチ。
常に面白い漫画を発掘していたい。
そうやって漫画読んだりスマホいじったり動画見たりして、あっという間に22時を過ぎた。
うける、何もしていない。
取り敢えず3大欲求である食欲を満たすべく、残っていた麻婆豆腐に焼きそばともやしをぶち込んだ。
絵面が酷い。
何だこれ。
本来ならそばを別でカリカリに焼いて、その上に麻婆豆腐をかけたかったのだけれど、お昼のミニフライパンも洗えてなかったので同じフライパンで混ぜてしまった。
特に美味しいわけではなかった。つらい。
美味しいご飯が食べたい。
エネルギーがない。
夜は関ジャムを見た。
何だか今日は、本当に何を見てもつまらなかった。
スカパラコラボは念のため編集して残しておいた。
やっぱり何もする気が起きなかったけど、明日眼科に行ったりするので、せめてもの、と必死にシャワーだけ浴びた。
本当にやる気がなくて、冷蔵庫の前で突っ立ったりして、入るまでに25分くらいかかった。
明日は眼科とメルカリの発送、洗面所と机周りの掃除、夜は親と食事。
久しぶりの外食だが、相手が親なので気分が乗らない。
しかも雨予報だし。
悪気は無いのだろうけど、母が見えている世界はとても小さく、その事にようやく気付いたので、あまり話を聞く気にならないし、話そうとも思えない。
こうして無理やり「家族の時間」を作ろうとしているのもダメだ、性に合わない。
それでも行くのは、ここまで迷惑を掛けている罪悪感と、母の精神を病まさせないよう顔さえ出して親孝行になるのならという気持ちと、他人が作ったまともな飯が食べてえ、という気持ち。
自由にはお金が必要なのだ。
身にしみる。
明日は天気が悪いらしい。
嫌だなあ。
何か文章を書いたり物を作ったりして、他人に認められたい、と思っている。
他人の評価を得て、自己肯定感をあげたいと思っている。
でもそう思って早2ヶ月、私は何にも手を付けられていない。
付けたと思っても、そこから続かない。
結局やる気がない。
あと、これはわりと大きいのだと思うのだけど、失敗した時が面倒くさいのだ。
時間をかけて何かを完成させても、評価されなければ。見てもらえなければ。
何の意味もない。
その虚しさを味わいたくないのだ。
ああ、あの時間はやはり無駄だったと。
それと、やはり自分には才能が無かったんだと突き付けられる現実に耐えるのが面倒くさい。
出来そう!でもやらなければ何の意味もない。
そんな人間が何かを成し遂げられるはずがない。
分かっていてさえ自分に希望を持ってしまう私は早く滅んでほしい。
全て自分の良い方向で妄想して満足してしまう。
早く自分の非力さを客観的に見て、客観的に何をすべきなのか早く見極めるようになりたい。
嘘、なりたくない。
もう挑戦とか面倒だし、できればこのまま目を覚まさないでいたい。
動くのは疲れた。